チョコレートのホロ苦い思い出
大好きなお菓子と言えばバレンタインデーでお馴染み、チョコレート菓子があげられます。
今年も沢山のチョコレートが、本命義理を含め女性から男性に手渡されたことでしょう。
私は、残念ながら今年も(糖質制限中と皆に言っているのでしょうがない)1個も貰えませんでした。
チョコレートは、殆どの人が好きなお菓子の一つです。
カカオ自体は苦く成分は脂肪と食物繊維ですが、これに甘みが加わると別物に変化します。
私は、糖質制限中なのでしばらく食べていませんが、以前は大好物でした。
自分でも、得意なお菓子に、ガトーショコラや
タルト生地に皮ごと焼いてトロトロに甘くなったバナナとチョコレート生地を流し込んで焼いた、チョコバナナのタルトは得意メニューの一つでした。
クレープ生地に何層もチョコレートと、カスタードを重ねたミルクレープなど数え上げれば切りがありません。
苦いものは、人間の本能からすれば、毒を見わける(味分ける)大事な味覚だったのでしょう。
妙薬は口に苦し等ともいい、薬の代名詞でした。
苦汁を味わったなど、いい経験をしたなどの意味にも使われています。
私の好きなjazzではスタンダードナンバーで「マイファニーバレンタイン」という名曲もあります。
マイルスデイビス・チェットベイカー、最近ではクリスボッティなどでもおなじみです。
ただ、バレンタインデーのチョコレートは、クリスマスケーキの12月以降の、冷え込んだ菓子業界 を救う日本独特のもののようです。
ここで私の恥ずかしい、バレンタインデーの思い出を(時効)お話しします。
私は、以前トロンボーン奏者として、プロで仕事をしていたということをお話ししましたが。
20才で東京に出るまでは、地方都市のキャバレーで仕事をしていました。
仕事場の近所に、昼喫茶店、夜スナックのような店があり、そこに年上の女性がアルバイトで働いていました。
その店は昼の練習が終わった後など、先輩と18歳にしてはまだ苦いコーヒーをよく飲みに行っていました。
2月13日その日は珍しく一人でその店に行くと、お客は誰もいなく、彼女一人だけでした。
そして、いつものコーヒーを飲んで帰ろうとすると、彼女は、小さな粒を1個ずつ綺麗に包んだ チョコレートの包みを、私に渡すのでした。
そこで、私はとんでもない勘違いをしてしまったのです。
てっきり自分が貰ったものと思い有頂天になっていたのです。
よく考えれば、いつも一緒に来る先輩が来ないので、これを渡して頂戴ね、という意味だったのでしょう。
(まだ女の気持ちが読み切れない年頃でした)
そして、高校は男子校でしたのでチョコレートを貰うなんて、初めてでしたし、チョコレート大好きでしたので、あっという間に食べてしまいました。
翌日今度は、お礼を言おうと早めに一人で行ったところ、店に入るとすぐ「ねえ、渡してくれた」と言われ、そこで気が付きました。 「あ、忘れてた」、と言いすぐに店を出ました。
その後、何とか同じ包みのチョコレートを、探すことができ、無事2月14日先輩にそのチョコレートを届けることができました。
一件落着、これで無事解決やれやれ、でも食べてしまったものはしょうがありません。
同じものが見つかって本当によかった。(今でも思い出すたびにそう思います)
毎年バレンタインデイの頃が来ると、いつも思い出す「ほろ苦い思い出」でした。
苦いものは、不味いものです。でも甘みが入ると別物に変わります。
これから生きていく上で、くれぐれも甘さに(うまい話に)騙されぬよう気を付けたいものです。